「私って可愛いオンナだな、って思えたんです。」
30Daysを一緒に駆け抜けた、読者さんが言った。
・・・
冒頭の言葉に至るには、少し遠回りになるけれど。
私は、私を定義されることを、嫌っているのだと思う。
自分のことを自分で見ることは出来ないし、自分のことが世界で一番よく分からない。見たもの聞いたもの触れたもので、前面に出てくる「私」という人間は一瞬にして変わる。万華鏡さながら。私が、「一秒前の自分を裏切れ」というのはそういうことだ。でないと自分について行けなくなる。気づいたら自分という意識が、まるで自分の影のように引きずられてしまう。
でも、そう宣言しながらも、気付けば自分の影になっていることはしばしばある。
例えば過去の自分。積み重ねてきたものについ縋っていることがある。そしてそうでない自分に「調子が悪いだけで、もう少ししたらあの自分に戻れるだろう」と意味のわからない楽観視を抱く。
例えば誰かの抱く偶像としての自分。自分という人間を内側から見ることが出来るのは自分しかいないのに、外側の目線で定義づけられた自分を適用させてしまう。内側はもっと柔らかくて濡れていて繊細だっていうのに、時にファンデーションを塗った顔なんかを自分としてしまったら、間違いなくお腹を下すだろう。
さっきの記事のここに、めちゃくちゃこみ上げた。答えを決められてしまったときに、人は死ぬのかもしれない pic.twitter.com/KbrTZe9RTv
— 藤井みのり@9/9江ノ島1Dayスナック (@lovecreator3) 2018年9月7日
一切定義することなく、どこまでも変容してゆけるのが自分であるはずなのに、ついそういった「答え」を纏って、いわゆるキャラクターみたいな枠に囚われて、踏み出す足元は泥沼のようになっている。変わらないものは滞る。循環しないものは淀んでいく。それはどれだけ何かで覆いかぶせても、ウンと蓋をしてみせたとしても、違うことを自分だけは知っているから、否定の念は拭えない。
見てくれ云々の話じゃない。自分を可愛いと思えるのは、そうやって纏ってきたいろんなものを脱ぎ捨てた、天衣無縫の時なんだ。生まれたての赤ちゃんが可愛いのと同じ原理だ。
……鏡に映った自分は、果たして影と現在とどちらだろうか。
答えなんか、そんな概念ごと弾け飛んでしまえ。他人の目なんざ、気にするどころか一生見れもしない視点なんだから無いに等しい。
あるのは、デカルトの命題そのものだけだ。
「自分の言葉で生きたい。」
「ありのままの自分で歩みたい。」
もう一度、可愛い自分になりたいあなたへ。
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(ちなみに前回のコラムは「乳首の機嫌」の話です。笑)
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