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セックスレシピの作り方

『あなた専用の、セックスレシピを。』セックスは「する」ものではなく、「つくる」ものだ。

「自分」にだけ、責任を持って生きる。


自分の人生に責任を持てよ、と思うことがしばしばある。「責任」というのは概して他人とか社会、世界と自分ではないものに向けられるような気もするけれど、そこに私は納得がいかない。人に責任なんて持てるか。永遠の愛なんて誓えないように、人との約束なんて出来るわけがないように、誰かの何かに責なんて負えるわけがない。だから、何かに責任を持つような人を、私は信用したいと思わない。




ふと思い出したのは、以前私の両親とヒデアキが交わしていた会話。確か婚前道中膝栗毛(日本縦断の旅)に出る前に、私を含む4人で話したのだけれど、そこで「何かあってもそれはみのりの自己責任だと思う」というヒデアキの言葉に対し、両親が「それは責任感がないよ」と発したやりとりだった。同じ「責任」という言葉だけれど、2つのその意味は間逆だなと思っている。ヒデアキの言う自己責任は文字通り自分への責任だけれど、責任感という言葉は他者への責任だ。私は彼の言葉を聞いて、なんて責任感があるのだろうと思ったが、それは「なんて自分への責任を持った人だろう」ということになる。私に永遠の愛を誓えない、何故ならそれは嘘になるからだ、といった彼を思い出した。彼のそんなところが心底愛おしい、とも思った。


私は自分への責任を持った生き方が好きだ。何故ならいつでも自由に世界を変えていける生き方だから。違うと感じるなら違う世界に行けばいい。叶えたい夢があるなら叶えに行けばいい。他者への責任は、一見責任感があるように見えて、その裏に言い訳がたくさん転がっているような気がしてならない。会社のせいで、上司のせいで、両親のせいで、この現代のせいで。昔散々他者の責任にして被害者ぶっていたからわかる、その生き方じゃ世界は変わらない。それは一見、親を悲しませないためにだとか、社会人としてしっかり生きるためだとか、世間に恥ずかしくないようにだとかそれらしい理由が盾にあるけれど、本当は自分でも知っている、全部言い訳だ。◯◯のためには、◯◯のせいで、と何も変わらない。だから、◯◯のために、と言う人を、私は好きではない。




もう一つ関連づけて記すならば、以前は◯◯している私、を私自身が好きだったなと思う。英語が話せる私とか、早起きが出来ている私とか。でもそれは私ではない。人はどんどん年老いて、出来ることは当然ながら減って行く。何か修飾語のついた自分しか愛せないなら、老いることはとても怖いだろうと思う。願うものどころか今出来ていることすら出来なくなる。自分が年老いた時、何かが出来なくなっていくのを恐れるのではなくて、より自分になってきたぞ、くらいの心持ちで月日が流れていくのを感じながら生きていたいなと思う。

 
 

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自分にだけは、責任を持って生きていこうぜ。
 
 
 
 

藤井みのり

 

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