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セックスレシピの作り方

『あなた専用の、セックスレシピを。』セックスは「する」ものではなく、「つくる」ものだ。

【おそ松さん的】「愛されたい」のか「愛したい」のか、本音はどっちなんだよ! / 自分を愛せない人は、本当に人を愛せないのか

 

最近、「愛したい」>「愛されたい」と勝手に思い込んでいて、本当はこの人は愛されたいんだろうなと思うのに「私は愛しているだけで満足なんです」ってやせ我慢している人を見かける。それはあなたの答えじゃなくて私の、または誰かにとっての真実だ。それは模範解答でもなんでもないただの事実であって、あなたにとっての真実は違うだろ。


私の場合、この視点で自分を振り返ったことがなかったけれど、少し遡れば愛されたくて愛されたくて仕方なかった。とにかく自分を見て欲しい、自分が欠落しているところを満たして欲しい、悲劇のヒロイン演じて傷を舐めて欲しい。自意識ライジングもはなはだしかった(あ、おそ松さんは一松&カラ松押しです…!)。でもそれを超えたのは、やっぱりそれを満たしてもらったからだ。人からも、そして自分からも。そこなくして「愛することで満たされる」なんて絶対に出来なかったし、そもそもそんな「愛し方」を知覚することなどなかっただろう。




「自分を愛せない人は結局人を愛せない」みたいな言葉があるが、あれはちょっと語弊を招きうると思う。真面目な人がこのフレーズを聞くと「まずは自分を愛さなくちゃ!」と途端に躍起になって、好きなことをしましょうとか聞くと全財そこにつぎ込んで一文無しになったりもする(別にそれが悪いとかではない)。




あの言葉は、「自分への愛し方と人への愛し方の<種類>が同じですよ」と言っているわけだ。例えばお金をかけることが愛だと思っていればそれを自分にも人にもするだろう(上記の例はそのパターンだ)。気をかけることが愛だと思っていれば人に気を遣い自分にも気を遣うことで愛と認識する。それだけの話だ。だから必要なのは、自分を躍起になって愛するとかではなくて、愛し方の種類を変えること、違う種類の愛し方を受け入れることだ。




私の場合の「愛することで満たされる」は、なんというか言い回しはすごく献身的のようなニュアンスを彷彿とさせるかもしれないが、決してそうではない。そのベクトルは外だけではない。自分を愛することと人を愛すること、その両方で満たされると言う意味だ。

「愛したいだけ、愛したい人を、愛したい」という想いは変わらなくて、そして私が私自身を「愛したい人」に組み込めただけだ。私が愛したい人はどんな人なのか。そこに答えがある。大抵描く図は、自分本来の図だったりする。自分にないものを好きになるとも言うが、ないと思い込んでいる、自覚していないだけだ。自分の中に一切その要素がなければ、そもそも琴線に引っかかりもしないだろう。そしてそれは一種の自分の持つ「美学」だ。


 

 


・・・と、ふと最近ハマっているおそ松さんを観ていても思う。おおざっぱだがカラ松=痛い奴、一松=闇をどっかにかかえてる奴、おそ松さん全般=いわゆる人間のクズ、となるわけだが、結局琴線に触れるならそれは自分の中にそれはあって、そして結局のところ自分の中のそんな部分が大好きなのだ。それを自分に向けるとなんだか恥ずかしいしそれこそ自意識ライジングとか言われるので、それを外に向けることで体裁を保っているだけで。


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(https://www.youtube.com/watch?v=BC4Wq9mrjK4より拝借。世の中ヒモブームなんじゃね?wとヒデアキと話しつつ。)



あ、でも、私の何よりの美学は、ツンデレです。




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