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セックスレシピの作り方

『あなた専用の、セックスレシピを。』セックスは「する」ものではなく、「つくる」ものだ。

「無責任」で生きなきゃ、生きてる意味なんてない。


「無責任じゃなきゃ、本当につくりたいものなんて作れない」ヒデアキがよく言う言葉。そしてひしひしとその言葉の重みを感じる今日このごろ。

彼はアーティストだから、なおさらそう至る場面で感じるのだろう。99%じゃなく、100%の重み。そこには圧倒的な差がある。絶対的な純粋な意図。何にも侵されない、自分から湧いてきた本音そのもの。それに従えるか、少しでも妥協が混じるのかでは、結果出来上がる物は天と地の差だ。




責任をとる、負う、引き受ける。その方向性がすごく大事だと思うのだ。一体自分は「何に対する」責任を引き受けようとしているのか。ヒデアキの言うそれは、いわゆるそれ、つまり「人に対する責任」だ。そしてこの対極に位置するのが「自分に対する責任」だ。これを私は別の表現で、「本音」と言い表している。


人の責任を負うとき、よくよく見ると大抵自分への責任を放棄している。そして人の責任に答えるのは難しいようでいて簡単だ。その瞬間だけ守ればいい。期日を守る、お金を返す、約束に答える。自分への責任は真逆だ。毎瞬、問われ続ける。それでもそれを生きるのかと突きつけられる。時にそれは違うと人に指差されても、それでも一歩前へとまた進む。道ができるのは、そんなときだ。人が通る道をいくら歩いても道はそれ以上広がらない。自分の内側から発せられるそれに従った時だけ、自分だけの道がはじめて出来上がる。




うまく言えないが、人の責任を究極負うことは出来ない。その人の人生を歩むことが出来ないから。だからそういったもの(ルールとか多数派の意見とか一般的にはほにゃらら的なもの)で責任をとるということにかまけて、自分からの声に耳を塞ぎ続けるのは、本当の意味での責任放棄だと思う。別に一般的な責任を捨てろとか約束を破れとか言っているのではなくて、自分の人生、いのちそのものにだけはしっかり向き合えということだ。


「もしそれで死んでも、それは自己責任だから」この一言だけを置いてただ歩いてゆけるかどうかだと思う。それをやれ誰が悲しむとか、誰かが怒るとか、世間的にはこうだからとかつべこべ並べているのが責任放棄だ。そんなの何一つ引き受けちゃいないじゃないか。自分のいのち以外の何に答えるって言うんだ。自分は自分しか引き受けられないし、それすら引き受けないで生きているも死んでいるもない。生きてすら、いない。何かに答え続けるのは、ただ出されたテストに盲目的に正解を出し続けるロボットみたいな絵を想像させる。そんな光景が延々と、おびただしい数のなにかが織りなしている光景。


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誰かに答えるんじゃない。自分が自分に答えるんだ。
他に一体何に問うて、何に答えればいいんだ。




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