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セックスレシピの作り方

『あなた専用の、セックスレシピを。』セックスは「する」ものではなく、「つくる」ものだ。

その人が誰かの「彼氏」や「旦那」でも、愛せますか。

藤井みのりについて 恋愛、パートナーシップ 結婚について 自分を愛する生き方

 




ふと想像してみた。もし今隣にいる「カヤノヒデアキ」という男が、いわゆる誰かの“彼氏”や“旦那”、“パートナー”だとしたら、私はこの男を愛せるのだろうか。ひとつひとつ想定して考えたが、答えは微塵も揺らがず「Yes.」だった。そしてそれは、少なくとも私が「彼氏であるカヤノヒデアキ」「旦那であるカヤノヒデアキ(結婚しないけど)」を愛している訳でなく、何の肩書きも役割もない、「そのままのカヤノヒデアキ」を愛してるからだろうなと思った。



この人が別の女性とセックスしようと、他の誰かを愛そうと、知らない誰かの子どもを産もうと、関係ないのだ。このカヤノヒデアキという人間そのもの、そのありようが好き。だから嫉妬も悔しさもなくて、代わりに尊敬と愛がただただそこにあるに過ぎない。



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振り返ると、嫉妬をしていた頃の恋愛はまさにそれだったなと思う。その人そのものでなく、「彼氏」というそのロールを好いていたんだ。だから思い通りの振る舞いをしてくれないと苛立つし、「こんな人を彼氏にしたい」という条件があったし(当時は自分より小さな男とは絶対に付き合いたくなかった。ヒデアキの身長は159.5cmである。)、彼が何か失態をさらしたときは私のプライドまで傷ついた。役割を愛していれば自然と「私の彼氏」「私の身内」「私の・・・」と表現は所有格になる。全く別の人間で、その間には明確なラインが存在するのにね。



ひとりの人間と人間の間には、侵すことのできないボーダーがある一方、その個のありようには微塵もそんなボーダーは存在しない。だから今回のアメリカの同性婚合法化を嬉しく思う一方、いちいち合法だの違法だのしないと容認されない、常に枠組みを求める空気感にfuckと思うし、日本のこの更に重いそれにはもう呆れて言葉も出ない。別にそれをイチイチ責めるのも無駄なので、私は私のただありようを突き通して生きていくけれど。



だから「不倫がどうのこうの」だとか「恋人じゃないのにセックスしたらいけん」みたいなのにも同じく中指突き立てたいのだ。したいんなら堂々すればいいし、そこに正しさなんて逐一求めるから恋愛がおかしくなるんだよと。理由や損得なしに、愛したいから愛するのが恋愛で、それが人間そのものなのに、「この恋愛は間違ってる」とか「複数の男を愛しちゃいけないんだとか」言ってるから幸せになれないの。いいからやれ。愛したいだけ愛せ。愛したい人の数だけ愛があるんだから、恋愛に模範解答求めてたら一生「恋愛」なんてできずに人生終わっていくし、誰かの描いた恋愛ドラマをなぞって死んでいくだけよ。



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「結婚」「恋人」「セフレ」「パートナー」「夫婦」「一夫一妻」「異性婚」どれも全部古い。すぐになくなるよ、そんな概念。そんなものに縋って自分の愛を表現できないほど、勿体ないことはない。「添い寝彼氏」「セクマイ」「ノンセク」それはそれらへの最後の抵抗であって、そんな線引きすら本当はいらない。ただ自分が思うようにどこまでも自由に、愛を表現していったらいい。私たちは、何にも縛られてなんかいない。ほんとうはどこまでも自由で、どこまでも芸術家。答えなんかどこにもなくて、善悪も存在しない。



 





愛したい人を、愛したいだけ、愛したい。







藤井みのり