セックスレシピの作り方

『あなた専用の、セックスレシピを。』セックスは「する」ものではなく、「つくる」ものだ。

【沖縄】人生に置けるあり方と立ち位置の話。

 

怒濤過ぎてしばらく更新が停滞してしまったのだが、順を追って書いていきたいと思う。書きたいことがありすぎるというのもまた困りもので消化不良にならない前に記したい。


3/21-23で沖縄にお話会に読んでいただいたのだが、この春分をはさんだ3日間ははなんとも私の人生において大きな3日間であった。出来事を追って書くとあまりに大量になるため、気付かされたことを過剰書きに記していきたい。



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  1. 「人生における在り方と立ち位置」


    とにかくその3日間、このことについて突きつけられた。これを考え感じるための時間だった、と言っても過言ではないだろう。

    人生のターニングポイントで必ずメッセージをくれる友人がいるのだが、彼は電話越しにこういった。

    「何をしたかじゃなくて、自分がどうあるか。結果として行動より在り方の方が人生を大きく変える。この世界において自分がどこを立ち位置として定めるのか。目には見えないけれど、自分はどんな意識で生きるのか。何をしたとか大きなことに目をとられがちだけれど、本当はそっちのほうがずっと大事だと思う。」

     

    フライト時刻を間違えて主催の方を6時間待たせるという過去にない失敗をやらかしてその瞬間申し訳なさで相当凹んだのだが、その時間で彼とした会話は今後の自分の人生において大きな意味を持っていたと確信している。



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  2. 「きたなくて死にたくて絶望」の反対は「予定調和」

    沖縄のあと広島で開催していただいたお話会の題名が「きたなくて死にたくて絶望の女神のお話会」だった。これは主催の方との電話ミーティングで出てきたフレーズなのだが、その後その方から、「みのりさんにとっての『きたなくて死にたくて絶望』の反対って何ですか?」という素敵な質問をいただいた。数日考えた後、沖縄に行く際にふと、その反対は「予定調和」ではないかと思ったのだ。

    予定調和とはつまり、未来を描いてそのルート通りに進んでいくこと。リスクヘッジと引替えに予想を上回る喜びや発見もない。言い換えれば「生きている!」という実感の一番少ない生き方とも言えるのではないかと思う。少なくとも私はそういう生き方を20年近くしていたが、常に心のどこかで「生きている!」という実感を探し求めていた。しかし結果として、そのルートをぶち壊さない限り、その範囲内で刺激的なものを求めてもそこに行き着くことは無かった。

    この「生きている!」は、色々なアプローチがあると思う。そして生きているということそのものは、とても美しくとても汚いものだと思う。なぜならそれは先ほどのバーチャル的な生き方ではなく、リアルだからだ。リアル程美しく醜いものは無い。私にとってそういう意味で、美しいと汚いは表裏で、それの反対は「予定調和」なのだ。この一般的に良しとされているバーチャルな予定調和をいかに壊していくかが、「生きている!」を実感したいと思っている私にとって常に人生において鍵となっている。



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  3. 自然と人間の立ち位置

    沖縄で神の島と言われる久高島に呼んでいただいた。そこで5000年も前の人々の話、祈りの起源、自然のこと、様々な話を伺った。

    ずっと昔、久高島の人々は7つの海と7つの大陸に向けて祈ったそうである。それは見たことのない人やいのちに向けた祈り。それを聞いたときに、その広い世界観と視野にすごく心を揺さぶられた。神社で祈る際、おおよその人々は自分のことや身内のこと、広くても世界平和のような漠然としたものを祈っているのではないかと思う。しかし祈りのもともとの形は、世界をとらえ、もっとずっと長い先を見据えた中での、もっと崇高なものだったのだろう。自己欲でない、世界に対する自分の立ち位置を捉えた上でのそれを、少しでも自分の中に取り戻したいと思い、その場で手を合わせた。

    もう少し具体的な話だと、沖縄では形を変えつつ残っているが、「酒」「塩」「水」を供える。それはそれぞれ「大地」「海」「空」への感謝を象っている。祈りを宗教的なものとすることなく、ただ自然に感謝をするというある種いのちとしてそれこそ自然なものに、もっと人生をあてていきたいと思った。


    そしてこれは勝手な私の妄想なのだが、人間も必要ないのちとして存在しているのだと、久高島の永遠に続く海原を見ていて感じた。人間が環境を破壊している側にしかフォーカスできなかった昔、自分の中で人間というものの存在意義を否定していたが、あるということはそれだけで必要があるということなのだと思う。それは普段私たちが使う「必要」という概念をずっと超えた意味合いでのものだ。実際死んでいったいのちや絶滅していったものもある中で、今人間として生きていて、世界はいのちのいちなみにおいて循環している。その循環、つながりを感じにくい立ち位置に移動してしまったのは私たちなのだから、個々でまたその立ち位置を変えてゆけばいいのではないか。先日誕生日を迎え、その立ち位置を強く意識してこの1年を歩んでいきたいと強く思った。


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    明日4/1、出雲大社より、ヒデアキとの日本縦断を再開する。日本海側を新潟までまずはずっと北上し、福島からは太平洋側を、下北半島より洞爺湖近辺まで行くので、ぜひ会いにきて欲しい。



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