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セックスレシピの作り方

『あなた専用の、セックスレシピを。』セックスは「する」ものではなく、「つくる」ものだ。

「自分を信じる」なんて、どうかしてる。

 
人の言葉で話す人が私は嫌いだ。人の言葉というのはつまり、自身の経験を経ずに生まれた言葉すべて。そこに重みがないのは聴いていてすぐにわかる。そしてつまらないなと思ってその場を離脱する。一体何を話しているんだろうと思う。一体何と話しているんだろうと思う。世界が美しいなんて思ってもいない人が「世界は美しいですよね」という瞬間に、ぞわりと背筋が寒くなる。その瞬間その人の顔は、多分のっぺらぼうのようになっているに違いない。怖くて見れないけれど。そう、嫌いというより、怖いという方が感覚的に近いかもしれない。
 
 
それは以前書いた「正論」をかざす人も同じ。それが正しいと信じてそれを体感することすらしない意見の一人歩きは、さながら『魔法使いの弟子』の箒のよう。人の言葉で話す人も、思ってもいないのに空気を読んだ言葉を吐き出す人も、多分全員の顔が同じ箒になっている。箒が箒と箒の話をしている光景。
  

sexrecipe.hatenablog.com

 

 

それは自分ではない何かを信じているということだ。先日プノンペンに来てくれた友人が、涙と共に「ここの人たちは一体何を信じているんだろうと思ったんです」とこぼしたのだけれど、多分彼らは何も信じてはいないのかもしれない、と思った。信じる必要がないのではないかと思った。だって、この世界に「信じる」必要がある物事なんて、多分どこにもないだろうから。

 


 
時々、自分を信じなさいと人は言うし、以前は私も自分を信じられるようになりたくて仕方なかったけれど、今はそれはまるきり幻想だと感じている。どうして自分を信じないといけないのかと思う。信じるというのは、ある種の期待に応えるようなもので、何かの延長線上を目指しているということだ。努力は裏切らないとか、過去があって今の自分があるんだとか、永遠の愛を誓うとか、夢に向かって走り続けるとか、すべて「線」がそこに引かれている。細いながらも、レールが引かれている。人が引こうが自分が引こうがそれがレールであることは同じだ。今の「自分」以外の何者かが引いたレールの上を走るということは、今の自分が途方もなく不自由だということ。


過去の自分を裏切らなくてどうするのか。未来の自分を裏切らなくて、ましてや人の期待を裏切らなくてどうするのか。すべてがレールで、細かれ太かれそれは「自分」を縛る。縛られた私はもはや「私」ではない。だから、すべての瞬間を点にして生きていく。つながりなんてない。予想図もない。自分の期待に答え続けたとしたらそれは、例えば幼い頃ウルトラマンになりたいと引いたレールを今も走らなければならないのと同義でしかない。


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「自信」という言葉に惑わされるな。
「1秒前の自分」に騙されるな。
「人の経験」を自分の物だと取り違えるな。

裏切りこそ、究極の命だ。
  
 
 



藤井みのり


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「裏切りは、女のアクセサリー。」

 

少し前に、何かの話でルパン三世峰不二子の話になった。私は峰不二子というキャラクターが好きだ。自由奔放で、自分がその瞬間に信じたいものしか信じない。いつだって今を生きていて、自分が欲しいものには恐ろしいほどに正直で、どんな酷いことをしたって一切の悪怯れなく、罪悪感なんて微塵も抱かずウインク一つで去っていく。私が男だったら、彼女のような女性がいたら追いかけずにはいられないと思う。
 

私の中で、彼女が放った「裏切りは女のアクセサリー」という言葉が一番印象に残っている。そしてそれはどんなに高価なダイヤをあしらったそれよりも、美しいアクセサリーだなと思う。平気で裏切る彼女は、言い換えるならどこまでも自分に愚直に素直だ。どれだけ愛していたものでも、その思いが消えた瞬間、道端に躊躇なく捨てていく。愛着がどれだけあろうと、それを無理に継続させようなんて1ミリたりともしない。宝石も人間もすべてにおいてだ。峰不二子という女が今も昔も愛されるのは、多分、そういったところに、男も女も魅かれてやまないからじゃないかと思う。言い換えれば、どの時代も人はそうやって生きたいんじゃないかということだ。

 

 

 


最近、「関係を継続する」ということに、何度も傾げてきた首を改めて傾げている。男女の仲に限ったことではなく、仕事を長年やってきたパートナーだとか、一緒に青春時代を駆け抜けた仲間だとか、もちろん親子も含めたありとあらゆる関係に置いてだ。もちろん長い関係だから築けるものはあるけれど、それは明日崩れないほど強固なものでないはずだ。無くならないものはない。むしろ、自分が自分の道を歩んでいたならば、生まれてから死ぬまで同じ道なんてこと、双子だってそうありはしないと思うのだ。それはどちらかがどちらかの道に飲まれていると見て間違いない。それは物理的に一緒に居続けることを指しているのではなく、そこにある目には見えない「関係性」のことを言っている。

 
だから、その関係性が「安定」しているなら、それは裏切りが今この瞬間の自分に向いているということだ。それは同じ道を歩んでいるようで、自分の足元がだんだんひび割れていくことにひたすら目を瞑っているだけのような気がしている。本当の意味で安定しているのは、ひたすらに相手を裏切り続けることだ。昨日はそんな君じゃなかったよね、と言わせ続けるくらいに。目が覚めたら、隣に寝ているのは間違いなく昨日隣に寝ていた人物と同じはずなのに、何かが違うと思わせるくらいに。昨日の自分を裏切る。1秒前の自分を裏切る。そうやって裏切り=今の自分への正直さを徹底していったなら、それはそれだけで途方もなく美しいんだろうと思う。
 
 

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日々相手を、そして自分を裏切り続けたい。その、自分に自分が追いついていかない一種の成長痛のような感覚だけを握って、颯爽と歩いていきたい。その痛みは、自分以外の全てへの裏切りは、何よりも美しい女のアクセサリーだ。





藤井みのり


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愛する人に、私が死んだ時に覚えていて欲しいこと。

 
私の口座から3万円が消えていた。そしてヒデアキから「飛田新地に行ってきたよ!」とLINEが入っていた(キャッシュカードをお願いしてある)。おおおおお!としばらくトークが盛り上がった後、「おかげで少し元気が回復したんだ」と書かれたのを見て、その瞬間、「ありがとう、お姉さん!!!」と心から思った。


今私はカンボジアにいるわけだから、ヒデアキに物理的には何もしてあげることができない。セックスはもとより、隣にいたらしてあげられただろう(勿論したいことしかしないのだけれど)ことすべてが、今の私には、できない。でも、それを今日、少なくともそのお姉さんがしてくれたわけだ。それが途方もなく嬉しかった。うまく言えないのだけれど、主語は私でなくていい、ただ強いて願わくば、ヒデアキが愛を感じ続けて死んでいってくれたら、私はとても嬉しい。

 


私はもしかしたら明日死ぬかもしれない。そしてもしかしたらこの指先は魚の一部になって、もしかしたらこの髪の毛は雨になって、そして世界が終わりを迎えるかはわからないけれど、同じ藤井みのりという存在がもう一度出来上がることは二度とないだろう。そして私が死んで徐々に分解されて消えていく中で、ヒデアキが変わらず同じだけの寸分違わぬ愛を感じていてくれたらなと思うわけだ(勿論本人が望まないのであれば微塵も感じなくてもいいのだけれど)。私でなくていい。私は勝手に愛する人を愛するけれど、同じように人はみんなそうやって人を愛するのだろうけれど、私が消えた世界で、そんな愛がヒデアキにずっと注がれていたなら、元気が無くなった時に元気にしてくれる女性がその都度いてくれたら、嬉しいなと思う。

 




「愛したい人を、愛したいだけ、愛する。」

この言葉は、言い換えれば私は本当に、「愛したい人」しか愛せないということだ。私は広くは愛せない。毎日心に思う男性の数は片手で足りる。だけど、もしまだしばらく余命があるのなら、もう少しその数が増えたなら、嬉しいなとも思う。それだけの器量があることはなんとなく知っている。その愛は伝わらなくても届かなくてもいい、私がただ勝手に祈っているだけだ。そして大抵そんな人たちの隣には彼らを元気付けてくれる女性がいてくれるのだから、安心して祈っていられる。その時間に流れる、言葉にできない温かさが、私を幸せにしてくれる。


藤井みのりなんて、生まれてたった一瞬で死んでいく形であって、だからせめて、愛する人がこんなにも愛おしいんだと、強く強く伝えて、そして死んでいきたい。私の言葉は残らない。私の愛も残らなくていい。ただそれが別の形になって続いてくれたなら、勝手に嬉しいと思う。


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ありがとう。
愛させてくれて、私はほんとうに幸せです。




 



藤井みのり


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「ワガママ」と「本音」の違いの話。

 
最近Facebookで質問を怒涛に募集させてもらった結果、「本音で生きる」ことに携わるのが一番私は楽しいんだ!ということに気づかせてもらった。質問をくださった方々、本当にありがとうございます。


フォロー、申請はお気軽にどうぞ。▷藤井みのりFacebook



私の尊敬する友人に、なんというか、野生児みたいな人がいる。彼の何が好きかって、途方もない清々しさが好きだ。何か意見を通したい時、意思を示したい時、彼はそこに理由を並べない。「ほんっとにワガママなんですけど、僕、今からこれやってきます!!!!!」といって走り出していく。これを食べたいから食べます! これを聴きたいから今聴いてきます! その瞬間の自分に恐ろしく素直なのだ。例えば、もしディズニーランドに来ていたって、今たこ焼きが食べたいとなったなら、彼は一目散に入園ゲートを抜け出てたこ焼きを食べに行くだろう。そのくらいに率直だ。そんな彼を見ていると何故か元気が出る。そしてそれは、子どもが素直に何かを表現した時の、嬉しいような、目に見えない何かをもらったような、微笑ましいような、そんな感覚にひどく類似している。



プノンペンで住まわせてもらっている友人こと石原舞と毎晩いろんな話をするのだけれど、昨夜はこの「ワガママ」に関する話だった。誰かと意見が一致しなかった時、ついその原因を探してしまうのだという。自分が○○だったからいけないんだ、そうでなかったらぶつからずに済んだかもしれない、そう考えるのだと。または、理解してくれない相手に、なんとか理解してもらうために、理由をたくさん頭の中でこさえるのだけれどそれはすごく疲れるのだと。そして現在国際恋愛中の彼女はこう言った。


「彼とは英語だから、細かいところはうまく伝えられない。だから、『私はこうしたい!』ってだけ言うの。でも別に彼は『どうして?』とか聞かない。それがすごく心地よくて、本当はしたいことの理由とか背景とか、それらを理解してもらおうとか、いらないのかもしれないなって思ったよ」


何かを守ろうとすると、歩みが遅くなる。何かでホリエモンが、「理解されることに時間とエネルギーを使うくらいなら、行動する方にそれらを使いたい」と言っていたけれど、歩を進めたいのなら、それでいいのだと思う。





また別の友人で、彼女は50代半ばなのだけれど、人生で初めて一人暮らしを始めてすごく楽しいから遊びに来てね、と写真を添えて送ってくれた。そこには山奥の家で、そこで出来た友人だろう人達に囲まれている彼女の姿が映っていて、受け取った私が勇気をもらった。彼女なりに、家族や周りの人たちへの葛藤があったらしいのだけれど、多分、そうやってしたいことをただ選んで進んでいくと、勝手にそれを理解してくれたり元気付けられる人たちがいるのだと思う。周囲の人が理解してくれないと嘆いてずっとそこにい続けるよりも、とりあえず冒険に出てしまった方が、自分の想いも、そして共感して欲しかった仲間もたくさん出来ている。それは私自身も人生を通して感じたことだ。


だから、やりたい!と思ったなら、お膳立て方便並べるよりも、「ワガママなんですけどやってきます!!!!」と飛び出してしまえ。その瞬間周りはちょっとびっくりするかもしれないけれど、飛び出してしまったのだからもう引きとめようがない。そして元気そうにやっているのを見たら、なんだか自分も勇気付けられたからいっちょやってみるかと、どんどん飛び出していくのだと思う。向かう方向はそれぞれだけれど、そこにいた人たちがみんな冒険に出てそこが空っぽになった時、そこを中心に世界はぐっと広がっている。そうやって世界はどんどん大きくなって、面白そうなことしてるなと誰かのところに行ってみたり、また別のところへ飛び出したりして行って、自由にどこへでも行けるようになっていく。


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自由に駆け回りたいのなら、
ワガママ一本通して、今すぐ飛び出していけ。





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裸の男と、正義の話。


「どんな男性が好きか」と聞かれたら、今の私は「裸の男が好き」と答える。もちろん物理的な意味ではない。裸で土俵に立てる男。仕事や肩書きやお金や地位や経歴や夢などがなくても、ただその二本の足で立っている人。臆すことなく、比較することなく、ただそこに一人でポツンと立っている。そして何の前触れもなく走り出すこともある。そんな男性に魅かれるのだ、どうしようもなく。
 




■空と大地のある世界に生きていたい。


ちょっと遠回りをするけれど、ここで「正義」の話をしたい。

というのも今日私はカンボジアで、ポル・ポト政権の大量虐殺の名残であるKIlling Fieldとトゥールスレン刑務所跡地を見てきて、正義について考えを巡らせていた。私の中に、時々酷く冷徹だなと自分でも思うのだけれど、「正義と悪のどちらにも立ちたくない」という思いがある。だから、それらを見て、痛ましいとは思いつつも、別段涙を流すことも、当時のリーダーを酷く責めようとも思わなかった。多分、そういう場で、彼は悪であり、それをやめさせたことは正義だ、間違いようがなく。でも、だからこそ、それを超えたところでそれらを俯瞰したい私がいる。どちらかに酷く同情したり、涙したり、相手を憎んだり、それはすごく人間らしいと思うのだけれど、私の中の何かがそれを許さない。

 


「光と闇
 美と醜
 正義と悪ー

 これら全ては前があるから後ろがあるように
 ふとした拍子に変化してしまうものだ


 大切なのはそのどちらにもとらわれる事なくー

 その表裏一体をうけいれる覚悟を持つ事ー」

──『シャーマンキング』9巻

 

一つには、小学生の時に何度も読んだ中でもこの巻だけ、ボロボロになるくらい読んでいたからではないかと思う。いわゆる中庸というやつなのだろうけれど、そこにいたいという思いがある。でないと、なんというか、見えている世界の半分を失ってしまうような気がするのだ。それは悪を削ったから正義だけの世界になるのではなく、大地か空のどちらかが消失してしまうような感じだ。それは酷く歪で、多分、成立しない世界だと思う。


もう一つは、カヤノヒデアキとやり終えた日本縦断、そのルーツである原発のこと。3.11の後、原発推進派と反対派、あのデモで感じた空気をもっと刺々しくしたものが、今日行った場所にあったように思う。「正しい」ものを強いる空気。それは途方もなく正しいのだろう、その瞬間。でもその空気は、成立しない世界で流れている空気な気がしてならない。




■「正しさに立つ」


昨日書いた記事の延長にもなるのだろうけれど、「正論」に立つときほど、自分の背中に気をつけないといけないなと思う。何かを伝える時に、そこに「正論」という後ろ盾があると、人と人の対等な関係でなくなる。

例えば「学校へ行きなさい」「早く起きなさい」「ありがとうと言いなさい」そんなフレーズは、その人自身の言葉ではない。「学校へ行くの楽しいよ」「早起きは気持ち良い!」「ありがとう」は、その人の言葉だ。その人の心だ。心と心のやり取りが人と人のやり取りであって、前者は人でない何かとのやりとりだ。そしてそこにはそれを発した人の後ろに「そうすべきだ、何故ならそれが正しいのだから」というお墨付きがぶら下がっている。だから、自分がマジョリティの立場とか、そのコミュニティ内で正しいとされる立場にいるときほど(私の場合あまりないような気もするけれど)、自分の背後には気をつけていたい。それは先日のお金のやり取りでも感じたことだった。後ろ盾を捨ててもう一度人と人として接し直すことが出来た私自身に、拍手を送りたい。


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さて、話がやっと戻るけれど、冒頭の「裸の男」というのは、ある意味この後ろ盾がないというのが一番かもしれないと思った。肩書きや経歴と同じように、「正しさ」もまたその人をenpowerする。でも同じくそれはその人自身ではない。だから、無意識にしろ、何かを強要したり、同調圧力をかけてくる人は男女問わず好きではない。それらを一切脱ぎ捨てて裸の人と見る景色は、空も大地もある、まあるい世界だ。綺麗事だけではない、常に何かと何かがぶつかっては砕け散っているかもしれないが、それでも私は、その世界を、そんな人と、見ていたいと強く、思うのだ。


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揺らぎかけた私に、ただその事実があるだけだと見せてくれたお母さん犬と、Killing Tree.

 

 

カンボジアの夜風が、ただひたすらに心地いい。






藤井みのり


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