セックスレシピの作り方

恋も、性も、私らしく。「自分をもっと大切にしたい」と思った時に読むブログ。

ブログ移転しております。


お久しぶりです。みのりです。

ずっとはてブを愛用させていただいておりましたが、この度noteにお引っ越しすることになりました。


https://note.com/sexrecipe

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過去記事も少しずつ移動しているけれど、noteで書き下ろした記事もマガジンにまとめてあります。


https://note.com/sexrecipe/m/m0116e7408fde


ブログだけじゃなく、もっと読者さん同士がつながれるように動いていきたい。
よければnoteでもまたよろしくお願いします。




みのり

"自分が求める愛"だけを注ぐ。

  
3月29日、大雪の誕生日。「いかに一人誕生日を楽しむか」に振り切ったら楽しみすぎて、不眠不休ちょい手前くらいの勢いで数日間一人でお祭り騒ぎをしていた結果、頂いていたお祝いの連絡を返すのが大幅に遅れました。改めて、お祝いしてくださった方々、ありがとうございました。(そして3日であつ森は島クリエイターになりました。)





自主的に外出自粛の日々を重ねていた所、人生の観客側に回り過ぎてしまって調子を崩している。ゲームでも本でも映像でも、作品に触れればクリエイティビティが刺激されるのだけれど、それを受け続けていると何かが慣れてしまってダメになっていく。貰った分を還元しなければ、供給過多で滞る。そして私は、誰か一人に還元する事が苦手だ。一人から貰ったものを、別の多数に流していく。多分、私の愛や諸々の表現は、河口の形をしている気がする。







小さな憤りを覚えた。感情任せに怒ることは好きじゃないが、筋の通った言葉が憤りに沿って溢れ出してくるのは嫌いではない。


私の人間関係の失敗(ではないのだけれど)の多くは、先述の形が原因だ。貰った分を返してぐるぐると回り続ける、机の上の流しそうめんみたいな形をしていないのだ。予想ができてしまうものはつまらない。本編を終えた途端にゲームに飽きてしまうのと同じだ。だから一対一の恋愛スタイルもあまり向いていない。


私にとって、自由は勝ち取った物なのだ。だから、それをどれだけ尊重できるかが愛の尺度になる。束縛することは、ある文脈においては美しいとは思うけれど、私の肌には合わない。そしてそれは自分において強く思う。自分を抑圧することにまだ圧倒的に慣れているから、気を抜くと自由を自ら手放している。小さな枠の中に自ら身を納めている。そのまま居続けると死ぬと分かっていても、納棺されている方が落ち着く。体が強張って、空気が淀んでいく。そして死ぬ直前で発狂しそうになって、その箱を思い切りクラッシュする。馬鹿じゃねぇの、と自分に悪態を吐きながら。



私の、人間の、自由さと自然さを愛してくれる人しか要らない。常に新しい空気を吸い込んでいたい。自戒を込めて叫んでおく。いつもそれを許してしまうのは自分なのだから。こういう時世だからこそ、先の見えないことを楽しまなきゃ死んでしまうっていうのに。

 


(久々に読み返して、ルパンを見て、「うおおやっぱこれだろ」と元気になった)


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スリルが欲しい。化学反応を見ていたい。山から受け取った養分をふんだんに海へ注ぎこんだら、どんな生命が生まれるのか。道の喩えを借りるなら、「こんな物があったよ!」と色んな人に見せて、それを一緒に食して、そして私はまた別の未開の方へと潜っていく。そこに豊かさを感じるからだ。そしてその方が、私が多くの景色を新鮮さを持って体感したいからだ。



自分に課した精神的自粛を、常にぶっ壊し続けて行け。





感想やコメント、近況、相談etc.待ってるね。
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「S/Recipe Journal」
 






Minori.





本当にその「恋人」でいいの?



これからの「恋人」「パートナーシップ」の話をしよう。というのも、確実にこれからのそれが、目に見える形で変わってくるからだ。


これからの時代、働き方が変わるのと同じように、パートナーシップの在り方が多様化してくる。LGBTとかそんな枠組みを超えて。その時に、自分が恋人との関係において何を大事にしているかが明確になっていないと混乱するのは目に見えているなぁと、7年ぶりくらいに会う友人と今日話していて改めて思った。

 

 

結婚のこれから

 

「結婚しよ」とさらっと遠恋の彼女に言われた流れで、福岡市と熊本市にパートナーシップ宣誓制度が導入されたことを知った。

このパートナーシップ宣誓制度というのはLGBT向けの制度で、結婚制度程の法的効力はないけれど、「もしパートナーが病気を患った際に市立病院で一緒に病状説明を受けられたり、市営住宅への入居が出来るようになる」制度だ。但し扶養控除や遺族年金の受け取りは出来ない。

渋谷が同性婚を認めたのはまだ記憶に新しいけれど、これを知った時にまず思ったのは「いや頑張れよ東京!!!」だった。


ちなみに「結婚しよ」への答えは、No。何故なら一緒に病状説明を受けたいと思うくらいに大切な人は沢山いるから。もし将来パートナーシップ宣誓制度に「複数のパートナーを認める」が導入されたら、してもいいなと思っている。

  

 

堂々浮気と隠れて浮気、実際どちらがいいのか。


「要は天秤の問題なんだよね」

この問いに対して今日、答えていた。

順に説明しようと思う。ます、浮気をする上でも「自分に適したスタイルを選ぶ」というのが大事だ。当たり前っちゃ当たり前のことなのだけれど。


例えば私の例を出すなら、そもそも浮気を浮気とも思っていなくて、ただ「ああ、この人のことが好きだなあ」と思ったらもう好きなのだ。そして嘘が本当に下手。詰めも甘い。何かを隠そうとしたら十中八九露呈する。だから最初に、「付き合うのはいいけれど、他の人も愛するよ」という条件を認めてくれる人じゃなきゃいけない(正確には"付き合う"とも思っていないのだけれど、この話はまた後で)。


堂々浮気することはメリットも大きい。嘘をつかなくていいから脳味噌の中で余計なメモリを割かなくて済むし、嘘を吐くことや浮気することへの罪悪感もなくなる。

ただデメリットも大きくて、その条件で付き合える人の母数が圧倒的に少ないことと、その条件を飲んで付き合っても相手が嫉妬しないとは限らないのでそのフォローがめちゃくちゃ大変(遠距離彼女とのテレセク中に同居の彼女に噛み付かれたこともある。しばらく痕が消えなかった)。

けれどその両方を天秤にかけた上で、私はそれでも「堂々と浮気する」ことのメリットの方が大きい。人に対して以上に、自分に嘘つけないからね。


けれど嘘を吐くのが上手かったり、罪悪感なしに浮気が出来たり、浮気するとパートナーがめちゃくちゃヒステリーを起こすけれどその人と居たいとか、「頑張って隠しながら浮気をする」ことに軍配が上がる人も多いはず。(浮気がそもそも悪いとかの話はここでは省きます)つまり、どちらの方が自分にとって精神衛生上いいか、を選べばいいだけなのだ。

 

 

友達以上セフレ以上が最強説


結婚も、恋人も、パートナーやセフレにオフレetc. 様々な言葉が増えてきているけれど、つまるところ、生き方に伴ってパートナーシップ(人間関係)もア・ラ・カルト式になっていく。言い換えるなら、「いいとこ取り」出来るようになっていく。


私の中での「付き合う」はいわゆる「恋人」ではなくて、強いて言語化するなら「友達以上セフレ以上」だ。一緒に過ごす時間が楽しくて、くだらない話も深い話も出来て、かつセックスも出来る。「都合のいい関係」と言うと冷たく聞こえるかもしれないけれど、人間多かれ少なかれ都合のいい関係しか残らない。


デンマークと友達が「人はメリットのない行動はしないよ」と言って、若かった頃の私は特攻隊の話を持ち出して反論したけれど、今思えばそれが真実だなと思う。そのメリットは必ずしも目に見えたり、分かりやすい物ではないこともある、というだけで。


「付き合って欲しい」と少し前に異性の友人に言われた時に、「え、今(人として)付き合ってくれてないの?」と秒で思ったので、本当に「恋人」という概念がないのだなと思う。その辺りが分かりづらいと言われたのでもう少し掘り下げてみる。

脳味噌は完全にノンケ(異性が好き)。だから「バイなの?」と言われると少し首を傾げてしまう。ときめくのも、性的に唆られるのも男性なのだ。けれどそこに私の場合、快楽主義が加わっている。気持ちよければ、楽しければ、何だっていいじゃんという考え。


ノンケと書いたのは、ぶっちゃけ女性の性的なものへは嫌悪感を抱くからだ。銭湯で裸体を目にするのは何の問題もないけれど、眼前で女性器をおっ広げられたら「私と同じでグロいなぁ」と思うし。

 



そこに触れてみたいとか1ミリも思わない。女子校テンションで胸を挨拶代わりに揉むことはあっても、乳首を触ってと言われたら完全に無理。多くの男性が「男とヤるのは無理」の"無理"だ。同族を含めた生理的嫌悪に近い。

けれどセックスのスタンスはバリネコ(完全に受け身)なので、女性に"される"分には何の問題もない。だから、私とベッドを共に出来る女性は、タチ(攻め)だけで満足出来る人に限る。


セックスにおいての女性か男性かの違いなんて、ぶっちゃけちんこがあるかないかの差だし、その差は同じ体を有しているというアドバンテージで軽く相殺出来るどころか、私の経験上アベレージだと女性に軍牌が上がる。痛いことをしないからだ。



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まとめるけれど、制度は利用するものであって、倣うものじゃない。文化も然りだ。誰かが結婚しているからしなくちゃいけないわけじゃないし(婚活に焦っている同年代に特に届いて欲しい)、周囲が異性を好きだから同じように異性を好きになってセックスしなくちゃいけないものでもないし、誰かを好きになることすら自分で選んでいい。人は自分の選択を他人にどうしたって勧めたがる生き物だ。だから「こうした方がいいよ」は無視していい。自分の思いを大事に生きて欲しい。

そして自分の生き方、大事にしたい物を踏まえた上で、制度や既存のシステムを活かせるのなら使えばいい。なので私は、複数のパートナーと友達以上に大事だという証明が出来てかつ使うことでメリットがある(例えば節税になるとか)ならその制度を使いたい。




……プロポーズ、さらっと流しちゃってごめんね。笑

 






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Minori.



 

 

自分を好きになる方法をなるべく論理的に考えてみた。


自分を好きになる、なんて当たり前のような言葉を、もう一度自分なりに考えてみたのは、私の今改めてのテーマだからだ。



現在:
自分の好きなことに時間と体力を割く
自分らしくいられる場所に身を置く
自分の本音を出し続ける

未来:
自分との約束を守る自分へ投資する

過去:
過去の再定義
今までの軌跡を振り返る
いわゆる過去を癒す
今までの出来事に感謝する



やりようは色々ありけれど、時間軸で分けるならこの三種類ということになる。



思考は前向きに

 

ぶっちゃけ、過去思考は好きじゃない。というのは、現在によって過去がいくらでも定義出来てしまうから、現状に満足行っていないのに後ろを振り返ってもさして意味が無いと思うからだ。

つまるところ、自分を好きになるとか愛するとかいうのは、現在から未来軸の間での結果で殴るしかない。セルフサンドバックプレイということになる。
そして、時間や体力の配分は「現在」にしかない。ならばそれをどう振っていくか。

 

 

 

理想と現状許容

 

「今の自分を受け入れる」


これは大事なことだと思う。そしてこれに必要なのは、言い聞かせる自己暗示やアファメーションでも妥協でもなくて、「客観的に自分の現状を見る」ということ。

客観的に見る、とはよく言うけれど、客観的に見るには俯瞰しなくちゃならない。ということは足場をもっと遠くに置いてみなければならない。

海外に出てみて初めて日本の良さが分かるように。野宿してみて初めて屋根と壁の有難みが分かるとか。
つまり、逆説的に、居心地の悪い(と今は感じる)ところに足を踏み出す必要がある。


これは、足場の横軸の話。



もう一つが時間の縦軸の話で、「そもそも人は現状に満足出来ない」という話。


どれだけ恵まれていても、幸せでも、何かしらの新しさを人は欲するし、成長したい、より良くしたいという意識がある訳で。

これを冒頭の言葉を「今あることに満足しよう」と解釈して歩みを止めてしまうと、間違いなく悪化することになる。
だから、現状を俯瞰した上で、理想を追いかけることは重要だ。羨ましいと思ったものには素直に手を伸ばせ。無理だと思っても踏み込んでみるくらいの傲慢さは持つべきだ。


そうした過程がセルフサンドバックとして機能する。進みたい方へ進んだ道は、いちいち振り返らなくても自分を後押ししてくれるし、勝手に感謝してしまう(感謝はしようとしてするものではない)。自分に感謝出来たら自ずと周囲にも感謝するから、感謝出来ないことに悩んでる人は自分に感謝出来るように進んで行けばいい。ちなみに私は今ここの歩みを重点的に進めたい。

 

 

愛されるのが先か、愛するのが先か

 

よく、「自分を愛せない人は人を愛せない」とか、「愛されてこなかった人は人を愛せない」だとか色々なベクトルの言葉を聞くけれど、言葉は何かを一つの側面からしか切り取ることが出来ないから、どっちも真実で虚偽だ。鶏と卵みたいなもので答えはない。(鶏と卵には実際答えはあるのだろうけれど、つまるところどうでもいい)

どっちが本当か、真実味があるのかを議論している暇があるなら、「どっちも同時に」やってしまえばいい。


要は、自分が嬉しいことに人を巻き込めばいい。チャレンジしたいことに一緒に飛び込むとか。
難しい話じゃない。楽しかった本を人に共有するとか。行ってみたい場所に一人じゃなく皆で行ってみるとか。自分へのご褒美ついでに友達の分も買ってみるとか。分かち合うとか書くと一人あたりの配分が減ってしまったように聞こえるけれど、実際は互いに倍になっている。

チャレンジしたいことなんて、人と始めた方がお互い続くことが多いし、winwinなんて言葉で表すまでもない。何かを選ぶなら、自分と他人が両方笑顔になる方を選べばいい。めちゃくちゃシンプルな話だ。 

 

 

どの自分が好きか

 

「自分」ってヤツは一人じゃない。怪人じゃなくても誰しも二十面くらいは持ち合わせている。日本人なら尚更だ。(分人主義)


要は「どの自分を自分は一番好きか」という話だ。怒られて肩が縮こまっている時の自分が好きという人はなかなかいないと思う。伸び伸びとして自然体で居られて、弱さも見せられるけれど自分の理想も混じっている、そんな自分が好きなんじゃなかろうか。

けれどその「自分」というヤツは、周囲に基本的に定義される。根性が足りないというような脳筋な話じゃない。そういうものなんだ。だから「何で自分はこうなんだろう…」となることが多いなら、そのコミュニティは自分に向いていないだけだ。さっさと次の場所へ動き出すべきだ。


「居心地が良かったはずなのに最近何か違和感がある」友人関係やコミュニティも然り。人は刻一刻と変わっていく。変わらない縁は互いが変わっていないんじゃない、互いに変わっても尚いい距離感をキープ出来ている、かつ相手の変化を尊敬を持って見守れるからだ。

冒頭の「現在」のところで書いたことは、全てこの意味で同じことを言っている。人口の数以上に居場所はある。後ろ髪や情を引かれていないで、次、次と進んでいけばいい。残るものは自ずと残る。(と先日友人に言われたので改めて全てのものを再配分している)



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以前、読者さん達に、「どうしてこのブログを読んでくれるのか」と質問したことがある。

返ってきた答えの多くは、「自分を肯定してくれるから」だった。


それはそうだ。このブログは私が私の背中を押す為に書いている。たまたま、私の中のとある部分と読者さんの何かが重なって、読み手側もそう感じてくれたという話だ。けれどそれは、自分の為に成した事が結果として誰かの役に立っているから、すごく嬉しかった。


何度だって自分を好きになりたいし、ならなくちゃいけないとも思う。この国は何かをしたら人が承認してくれて、評価してくれて、褒めてくれる文化が強いけれど、そこに甘んじるから自分が嫌いになってしまう人が多いのだとも思うし。私もずっと人の評価でしか生きることを知らなかったから、三十路手前にして、もう一度そこをやり直したい訳だ。やらずに済ませたかったのだけれど(遠回りだから)、鬱になって、どれだけ遠回りしてもそこを通らずして先に進めないんだなと痛感した。


今までも仕事は好きだったし、カウンセリングもコンサルも執筆もどれも自分の為にやっていたことではあるけれど。もっとその深度が深い仕事と生き方がしたい。もっと瞬間瞬間フレッシュに、好奇心のままに、本音で、私が私を惚れさせるくらいの生き方が。



三年を経てリスタートになるけれど、またよかったらふらりと読みに来てね。





こっちもまたゆっくり動かします。感想やコメント、近況、相談etc.待ってるね。
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(LINEトークのように話せるので内容は他の人には見えません)

「S/Recipe Journal」
 






Minori.




「みのりさん、はやく出て行って欲しい。」

 

ぶっちゃけ、自分がクソ野郎であるという自覚はとてもある。そのくらいには客観視出来るが、それを矯正出来るかといえばまた別の問題になってくる。兎にも角にも、嘘が吐けない。他人に吐けないのなら"正直者"とまだプラスの評価を貰うことも多々あるが、自分に吐けないとなるとこれ、マイナス評価の方が実は多くなってくる。"浮気者" "クソ野郎" "裏切り者"といった評価になる。

  

パートナーが居ても、他の誰かを好きだと思えばもう好きなのだ。歯車を止めるストッパーが存在しない。何かへの興味が首を擡げれば、隣に居る人間に構わず一目散に駆け出してしまう。過去は過去、今は今だから、言っていたことは卓袱台より早くひっくり返る。けれど台を返す側は相手だ。「言っていたことが違うじゃないか」「約束は守れ」クレームが飛ぶ。私だって、可能な物ならそうしたい。"初心貫徹"、地球上で一番憧れる四字熟語だ。

 

 

…けれど、それは叶わない。これはもう、私の性分なのだ。嘘を重ねたところで、最後は溢れて洪水になって、もっと大きな被害と瑕を残してしまう。だから、ある時から誤魔化すのを辞めた。怒られることは増えた。けれど、ややこしくはなくなった。恋人公認で恋だってセックスだってする。面白そうなことには二秒で足を突っ込む。その時から、やっと、人生が楽しいと思えた。生きる事は絶望だという瑕は、今も心の隅には残ってはいるけれど。

 

 

 

優樹(同居中の、分かりやすく言うと"彼女")と同居を始めたのは去年の春。彼女程懐と器の深い人間を私はまだ知らない。どんな弱さも受け止める、ステータスは攻撃力ゼロ包容力カンストといった具合。寂しいと言えば、「じゃあ仕事休もうか」と真顔で言う。決して無理をしない、どれだけ周りに怒られても。本当に大事な物を、大事に出来る人間だ。私にはとても真似が出来ない。

 

鬱に徐々になっていった一年、隣にヒデアキが居た。今も、そして死ぬまで、彼を一番愛しているのはおそらく変わらない。だから、あの日の決断を後悔はしていない。家を出たいと言った彼に、今は自分のペースで頑張りたいのだと告げた彼のその思いに、頷いたことを。寂しくなかった訳ではない。その後、コンドームを捨てながら涙を零したのも覚えている。それでも、彼の進むその背を押したかったし、その足を引っ張るのは一番嫌だった。時々会って、元気そうな横顔を見る度に、私の為に残らないで居てくれてありがとう、と思う。

 

鬱が徐々に回復していった一年、隣に優樹が居た。彼女を通して死ぬ程自己嫌悪を抱えた。彼女は何時だって弱さを見せられる強い人だ。彼女に癇癪を起こしたことも一度や二度でない。けれど、一度も彼女は怒らなかった。神様じゃないかと思う。そうして見守られながら回復して、今度は立場が逆になっていた。「自分のペースで頑張りたい、チャレンジしたい。だから、出て行きたい」。鬱の時に一緒に歩いてくれる程スローな彼女のペースは、チャレンジしたい私のペースと次第にズレていった。支えてくれた彼女を裏切るのかと、正しい私が始終私を責め立てた。年明けのある日、罪悪感と自己嫌悪で爆発した。それを全部受け止めてくれたのもまた、彼女だった。

 


「…みのりさんが大好きだから、一人になるくらいならもう死にたいかもしれない」

 


伝えた直後の彼女は、しばらくご飯がロクに喉を通らなかった。なんて酷いことを言っているんだという自覚はある。パートナーとして100人いたら、少なくとも過半数は私を嫌うか、病むか、気が狂うか、大喧嘩になるか、兎に角私は"クソ野郎"だ。私と住む為に実家に出て来たと言うのに、喧嘩したとか嫌いになったとかでもないのに、自己都合で離れさせてくれだなんて。私の周りは自由主義だけれど、そうでない価値観の方が圧倒的に多い。私が出来るのは、「ごめん」と「ありがとう」を繰り返すことだけだった。

 

 

 

 

一週間程経っただろうか、彼女がにこりと笑って言った。

 

「一人は寂しいけど自分は自分で自分の人生に集中する。出て行ったら油絵を描く。…だからね、はやく出て行っていいよ」

 

死にたいと言った彼女の前では必死に堪えていた涙が、この時ばかりは堪えられなかった。ごめんなさいより、ありがとうの方が、突き上げる物があるらしい。

 

 

 


抱き締めた彼女は、いつも通り私より少し体温が高くて温かかった。いつもワガママで周りを振り回す。その度に自己嫌悪が心の隅の瑕を抉る。けれど、私の隣に居てくれる人はどうしてか、それごと抱き締めてくれるのだ。絶望はやっぱりあるけれど、優しさもやっぱり同じだけあることを、思い出させてくれるのだ。

 

 


もう一人の彼女もまた泣かせて、けれど抱き締めてくれた話は、いつかまた今度。

 

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​───2020年は、私の中で大きく音を立て始めている。

 

 

 

 

 

 

みのり